
[ 約40年前から憧れ続けた景色。この景色がそっくり見える試聴室を念願している ]
早いもので、試聴室を伊豆の国市へ移転してからすでに1年になろうとしている。
当初は、「なぜ東京からわざわざ田舎の山中へ?」「なぜ伊豆なの?」、等々不思議がられたりもした。
これには二つの理由があった。
一つは西蒲田の試聴室で得られなかったマイ柱上トランスを獲得して、最高の電源環境下での新製品開発と、さらなる電源工事技術の向上という目標があった。当時の私は、最高の環境からしか最高の製品は生まれないとの思いに駆られていた。この決断は間違っていなかったと思っている。
(新製品開発の経緯については当HPの”ALLIONの紹介 ”を参照下さい)
もう一つが、この地の景色(写真)に永年憧れ続け、20年前に土地を取得していたのも大きな理由で、同じ別荘地にある知人の別荘が10年近く使用されずにいた事もあり、とりあえずそれを借りて仮の試聴室として移動した。
なぜ仮なのかというと、東京生まれの東京育ちで車の免許も無い私のパートナーが、ここに住めるかどうかという重大な課題が有った。出来ればパートナーもこの地を気に入ってくれて、なるべく早く本格的な試聴室を作りたいと願っているが、最悪(あるいは最善?、かもしれない)の場合、現状のまま東京と伊豆を行ったり来たりの生活も視野には入れている。
しかし今考えても不思議で仕方がないのは、前年からまるで伊豆へ引っ越すためとしか思えないような出来事が次々と起こった事である。これは、いつかは伊豆にと念願していた私に取っては渡りに船でもあった。かつて同じ九州出身(宮崎県)の歌人、若山牧水が沼津を終の棲家としたように、私にとってもこの地が終の棲家になる気がしている。
なにはともあれ、既にルビコンは渡ってしまった。あとはひたすら 前へ進む以外にない。
