チャルタージュ、黄金のイヤリング、カルメン、ジプシーカーニバル、・・・スラブ行進曲
マントバーニー楽団の【華麗なるジプシーの旋律】の中の曲名である。
中でも私は【ジプシーカーニバル】が大好きだ。
今から30年ほど前、職場の先輩のアパートへ行ったら、部屋の外まで聞こえていたのがこの
曲だった。
せつなく、激しく、そしてやるせない悲しさや嬉しさの入れ混じった凄く速いテンポの曲である。
その日は件のレコードを聴かせて貰ってほとんど話などしなかった。
帰りにはそのレコードを借りて帰った。
それ以後テープにとったその曲を何百回聴いたのだろう。
このレコードとの出会いも私をオーディオへ引きずり込む原因の一つだったと思う。
思えば随分と月日はたったが、その時に読んだ解説書の内容は今でも鮮明に覚えている。
かつて、イエスキリストが食の布施を求めた時、それに応じなかった者がその報いとして、
流浪の民ジプシーになったと言われているらしい。
そのこともあって、世情が不安定になると政治的に利用され、ジプシーのせいにされて迫害を
受けてきた。
かろうじて受け入れられても、男には大道芸以外に仕事らしい仕事は無く、女は占いや洗濯
女みたいな仕事しか無かったらしい。
それでも生きていくためにいろんな事をして、細々と生計をたてて行くしかなかった。
そんな中で、有り余る能力を持った人や、少しでも目先の利いた人にとって、ジプシーで有る
が為の差別や世間の壁は死ぬほど辛かっただろう。
やり場のない怒りや悲しみに絶望し、自暴自棄になった時も有ったに違いない。
そんな中で生まれたのが、あの激しく、せつなく、哀愁漂うジプシーの旋律だった。
これらの曲からは、いわれ無き差別や偏見に対するやるせなさ、怒り、悲しみ、そして「どう
生きればいいのだ!」「どうすればいいのだ!」という叫びにも似た感情が伝わってくる。
そう思えばジプシーの音楽に見られる激しさや、陰影、思いっ切り感情に訴えてくる抑揚の
激しさも何となく理解できる。
バロック全盛期の頃、多くの音楽家が憧れ、どうにもまねが出来なかったのが、ジプシーの
旋律であり演奏技法だったそうである。
やがてジプシーの旋律は北ヨーロッパのクラシック音楽や、イタリアのカンツォーネや、スペ
インのフラメンコに大きな影響を与えた。
音楽でも小説でも心からの叫びを昇華した物ほど素晴らしい芸術として開花し、人々の心
に訴えるのだと思う。