私が本気になってオーディオと取り組むようになったのが、名機アキショム80との出会いだった。
ある日、友人に誘われて伺ったオーディオ・マニアのお宅で見たのが事の始まりで、あの独特の
スタイルに完全に一目惚れしてしまい、これはいい音がすると直感した。
「このスピーカーを持つ者は,あまねく人生を過つ」とも言われたスピーカーとの運命の出会い
だった。
それから半年、売ることは出来ないが、とりあえず期限無しと言うことでアキショム80を借りること
になった。
思えば、ここから私の【オーディオ・ロマン街道】は始まったのである。
このスピーカーの反応の早さときたら、当時(多分今でも)他に並ぶ物はなっかた。
何と言ってもかなりの高能率を誇るスピーカーである。
ともかく、何をいじっても見事に反応するから、もっといい音を、もっといい音を、と掻き立てるものが
あり、それが為にどれ程のマニアが泣き、人生を狂わせたのだろうか。
かくいう私も間違いなくその一人である。
その頃のテスト・レコードが富樫雅彦のフェイス・オブ・パーカッション一曲目サムシング・カミングで
、情報量、音の切れは比類無い物だった。特にこの曲は他のどのシステムで聴いてもダメだった。
その後の富樫の音楽はマニアックな方向へ傾斜して、今はもう理解の範疇外になってしまった。
私のオーディオ歴で言うと、パーカッション=富樫であっただけにとても残念でならない。
もう一つ忘れていけないのが、このスピーカーは真空管、特にウェスタン300Bと相性がいいと言わ
れていて、トランジスター・アンプで上手く鳴ったのを聴いたことが無かった。
真空管で鳴らす弦のすばらしさと言ったらそれはもう・・・・・・ 言葉にならない。
ある日、秋葉原はジュピターオーディオへ行ったとき、アキシショム80より遙かに良いスピーカーが
あると店員がノタモウタのである。
アキショム80など比較にならないと、その店員が言うのがタンノイのウエストミンスター・ロイヤルで
あった。対応してくれた店員の名前をいまだに覚えている、それくらいショックだった。
根っからのアキショムファンとしてこれは聞き捨てならない。
オーディオファンの端くれとしてタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルは何度か見たことはあったが、
残念な事にそれまで聴いたことがなかった。
当時、クラシックをかけたら世界一と言われていたスピーカーである。
値段もそれに十分ふさわしい値段で、とてもとても私のような一般人の買える代物ではなく、遠い
世界の存在にしか思っていなかった。
まさかそれを自分が手に入れようとは、その時想像さえもしなかった。
(つづく)