(有)出水電器 島元のブログ

2002年4月の記事

CD 小説「精霊流し」の世界

[ オーディオロマン街道 ]   2002年4月16日

先頃、嬉しい出会いをした。
当HPをご覧の方はすでにご存じのとおり、3月8日当店でASC山本会長を迎えて、ささやかな試聴会を開催したとき、意外な方が参加された。
その方は、【さだ企画】プロデューサー、八野行恭氏であった。
で、その時に頂いたCDが【小説「精霊流し」の世界】だった。
(八野さんは当コラムの[さだまさし著 精霊流し]を読んでおられたとか)

CDも2枚になったし「隠れ さだまさしファン」を返上する事にした。
これからは普通(?)に「さだまさしファン」を名乗りたいと思う。
さて、件の【小説「精霊流し」の世界】、先に小説を読んでいるので音楽(歌詞)に合わせて情景が浮かんでくる。

薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
川の崖で偶然弟が見つけ、母のために二人で持ち帰った薔薇。
この薔薇が母を、そして家族を本当に癒してくれた。
引っ越しの時、薔薇を持っていこうと言う弟に、次に住む人のために残しておこうと優しくいう母。
時がたって、歌手として有名になってからその家を訊ねた時、薔薇が満開で迎える。
言葉に出来ない感動の場面である。

転宅
この曲を聴いたのは今度で2回目だった。
祖母が父に言ったのは「負けたままじゃないだろう」が正しかった。
小説の始めの方でその父と祖母の事が書いてある。
長崎へ引き上げてから祖母が帰って来るのを今日か今日かと迎えに行く父、ある日ついに祖母が帰る。
後ろ姿でそれと知り、そっと肩に手を置くと、見ていたかのように父の名を呼ぶ祖母。
このシーンは思い出すだけで泣けてくる。

椎の木のママへ
さだまさしがバイオリンを習っていて、東京の先生のところへ通うときいつも泊まっていた叔母の家。
その叔母が長崎でジャズ喫茶のママになった。
一番最初にさだまさしの才能を認め将来を確信し応援してくれた叔母。
同い年の叔母の息子と早すぎたその死。
歌詞の最後、「僕の叔母さん」には何とも言えない情感がある。

後は是非、本とCDを買って頂きたい。

なにはともあれ、さだまさしの歌には優しさが溢れている。(と私は思う)
こんな優しさと思いやりが日本中に溢れたらどんなに素晴らしいだろう。
人間主義で優しさに溢れた社会だったら、最近起きているような変な事件なんて起きようがないと思うんだけどな〜。

 優しさって  いいな〜。さだまさしの歌って  いいな〜。♪♪ ♪♪♪ —— さだまさし ファン—— ♪♪♪♪♪

フリーダム・ファイター

[ オーディオロマン街道 ]   2002年4月7日

2月の始め、帰宅したら「サッチモ」を紹介した番組(ゲスト 日野輝正)が放送されていた。
サッチモ=ルイ・アームストロングの生い立ちやジャズへの功績、スッキャトの誕生等々、
記録を交えての番組だった。
ゲスト、日野輝正のサッチモとジャズに対する思い入れと語りもさることながら、サッチモのお喋りがまた楽しかった。

例えば、まだ駆け出しの頃、犯罪の巣窟とも言われたスラム街に住んでいたことについて
      当時の生活環境はどうだったのですか」と問われ、
         「ミュージシャンに取っては最高の環境だったよ」
      とウィットに富んだ答えで周りを煙に巻き
           「いつ引退するんですか」との質問には
           「君はいつリタイアするんだい」と聞き返し
          「あと数年で定年です」との答えに
           「君は怠け者だな〜」と切り返した。
さすがに偉大な、そして愉快なエンタティナーである。

晩年、親しい友人に「俺は金持ちになったよ。いつでも食べられるんだ」と傍らの冷蔵庫を開けて見せた。そこには数個の卵と僅かの食料が有ったそうである。
その友人は「君だったらいつでも好きなだけステーキでも何でも食べられるじゃないか」とは言えなかった。
言葉には出来ないほど哀しい、或いは辛い人生がそれだけで金持ちと言わせたのだろうか。

激しい人種差別の時代に、卓越した音楽センスによって多くの人々から愛され支持されたサッチモ。ところが同じ黒人からは白人に媚びていると誤解もされ批判もされた。
しかし「サッチモ」こそ黒人の地位向上に大いに貢献した「フリーダム・ファイター」であった、と番組は結んだ。

アーティストは偉大な存在だと思っているが「フリーダム・ファイター」の名称は素晴らしい。
この日本にもチャップリン、カザルス、サッチモみたいに「フリーダム・ファイター」と呼ばれる感性豊かな、そして何より人間性豊かな芸術家が生まれ、気高き精神のメッセージを発して欲しい。

【フリーダム・ファイター】
何と力強い響きを持った言葉なのだろう。
戦争の英雄は星の数ほど知られているのに「自由の英雄」「人権の英雄」がそれほど知られていないのは不思議に思う。


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