[ ALLION ブランド設立のきっかけとなった試作機、FAST T1-Z ]
FASTの発売元でありながらなぜALLIONブランドを立ち上げる必要が有ったのか? 多くの人が疑問に感じるところだと思うし、現に「何があったのだ?」という書き込みを目にしたこともある。
ALLIONの紹介にも書いて有るとおり、FASTのフラグシップ機、C-100、M600ができあがり、取り扱いたいというドイツの会社も出てきて、CES(毎年ラスベガスで開催される世界最大の電気製品のショー)へも出展したが、ドイツの会社での取り扱いはなかなか思うようには行かなかった。そのころFASTの製品の中で、最も採算が厳しかった【T1-S】の生産打ち切りが決定された。だがユーザーの評価を考えると、生産中止するにはあまりにももったいないし、私が提案してできた製品だけに思い入れもあった。(M-300の改善にもオーディオファンの立場から提案し、M-300以外のアンプは、デザインを含め私の提案で製品化された)
この【T1-S】をさらにブラッシュアップして、しかももう少し手頃な価格にできないものかと思いあぐね、制作者の菅原氏とも、タイプⅡへの移行も含め何度も相談したが、これだという妙案も無かった。1年ほどたって、どうせ生産中止するなら、一度私に全て任せてくれないか、と相談したら案外あっさりとOKが出た。
私は菅原氏は天才だと思っている。それは今も変わっていない。それだけに菅原氏のアンプを変更したりすると、その段階でFASTでは無くなってしまうので、随時相談しながら制作することにした。
だがしかし、私が見込んだ技術者は大の”音きち”でもあった。話が合わないはずがない。勢いとは恐ろしいもので【T1-Sの廉価版を作る予定】が、いつの間にか究極のプリメインアンプを作ろうと言うことになってしまった・・・《なってしまった》のである。そして出来上がったのが上の写真の 【FAST T1-Z】だった。見る人が見ればどれほどの工夫が成されたアンプか、どれほどコストをかけたアンプか解ると思う。
この試作機は昨年10月(07年) アメリカ最大のオーディオショーである、ロッキーマウンテン・オーディオフェスタにおいて、独自のスピーカー開発で海外でかなりの注目を浴びているフィーストレックス社のデモ用として使用され、現地で2万ドルの真空管アンプを一蹴した実績を持っている。またアメリカの有名なオーディオ評論家のHPにも写真付きで掲載された。(フィーストレックス社技術部長 寺本氏談)
余談ながら、よほど好評だったらしく、寺本氏の知人で、世界にネットワークを持つ商社から是非との話もあったが、生産力を含めそれほどの力もないので断っている。またインドで取り扱いたいと言うEメールも貰ったがこれも断った。
さて、いざ製品化しようとしたときにには販売価格があまりにも高くなりすぎていて、その後、無茶苦茶とも言えるコストダウン要求にも何とか応えてもらい、やっとの思いで完成したら、思いももしなかった難問が待ちかまえていた。
結論から言うと、それはPSEという厄介な日本独特の法律の問題だった。制作会社でPSEの検査をしなければならないと言うのだ。 当初は代行というのもあったと記憶していたのだが、あくまでも制作会社でなければならないとのことだった。そうなるとメーカー名【FAST】、制作会社は別という訳にはいかない。 それと一番悩んだのが製造責任に関するPL法の問題をどうするか、万が一にも(株)ファストに迷惑はかけられない。
そのような状況で熟慮に熟慮を重ね、急遽【ALLION 】というブランドを立ち上げたのが真相であり、FASTとの取引は何も変わっていない。
追記:
ちなみに、試作機【FAST T1-Z】は、大のFASTファンで、C-10Ⅱ、M-300Ⅱ(2台)、T1-X、T1-Sまで(現在は ALLION Ultimate T-100も)お持ちの、Konishiさんが所有されています。これだけでもどれほどのマニアかは想像できると思いますが、Konishiさんは東北初のマイ柱上トランス設置者でもあります。Konishiさんについては、次回の「私が出会った音の達人たち」に登場予定。