ある日のこと、仕事を終えていつものようにステレオから流れる音楽を聴いていた。
かかっていた曲はビリー・ホリデイの ” I’M A FOOL TO WANT YOU ” だった。
そこへふらっと入ってきた常連のビールの泡さん(H・N)が呟いた。
「JJのマスター(大坂は歌島でジャズを聴かせる理容室のMaster)がこのCDの事を『彼女の歌が哀しく聞こえるか?』と言っているんだけど、確かに難しい曲だよね」 ここまでは良として「でも最近のここ(出水電器)の音は上手く鳴っている方だと思う」とのたもうた。
ま、辛口評論家の彼が誉めてくれているのだからここは一応喜んでおくべきか。
JJのマスターが言っているのは、歌っているビリー・ホリデイの心の哀しみがちゃんと伝わってくるか?、そこまでシステムを調整しているかというオーディオに関する問いかけなのだろう。
ビリー・ホリデイの歌が哀しく聞こえる!
これは彼女の人生を抜きにしては語れない。
ビリーホリデイは栄光と影が激しく交差した人生そのものと言われる。
私が最初にビリー・ホリデイの歌を聴いたのは20年近く前のことだった。
友人の家でテレビを見ていたときコマーシャルで流れてきたのが彼女の歌だった。
その声は強烈に印象に残った。
やや突き放したような、何か達観したような歌い方はとてつもなく深い悲しみを乗り越えてきた印象を受けた。音楽に詳しい友人に聴いたら「ビリー・ホリデイじゃないか?」と言った。
それから何年かたって、同じ商店街でビデオとCDのレンタル店が閉店することになり、そこで処分販売されていたCDを何枚か買った。
その時はジャケットを見て何となく良さそうだったので買ったのだが、それがビリー・ホリデイのビッグコンサートとしては最後となった、亡くなる9ヶ月前の第一回モンタレー・ジャズ・フェステバル(1958年10月初め)での録音を28年ぶりにCD化したものだったのである。
第一回モンタレー・ジャズ・フェステバルのCD
話はさらに飛んで今年の夏、作曲家の友人が久しぶりに来て相も変わらず音楽談義をしながら過ごした。そして、私がこの歌手が大好きなんだ、と言ってビーリー・ホリデイをかけたところ、曲の合間に彼が意外な事を言った。
「この人は私の音楽の師匠の師匠です」
つづく。