東京芸術劇場音響主任 三好直樹氏著

           新評論まもなく開演より抜粋

中略

世界で初めてマイクロホンを手持ちして(Hand Held Microphne)歌った歌手は『ホワイト・クリスマス』で不朽の名を残したビング・クロスビー(Crosby Bilng 1904〜1977)だったという。マイクロフォンを通して、耳元でささやきかけるように歌うスタイルは、オペラチックに朗々と歌う歌手が主流の当時としては画期的なものだったろう。この時以降、電気音響設備はポピュラー・ミュージックには欠かすことの出来ない設備となってゆくが、あくまで声の拡声にとどまっていた。

日本で事情が大きく動いたのは、1970年に開催された大坂万国博覧会だった。同時開催された「芸術の祭典」に、多くの大物アーティストが来日してコンサートを開いた。
これをきっかけとして、以後、外来アーティストの日本ツアーが急激に増えてくる。右肩上がりの高度経済成長が、チケットの購買力を急速に高めた時代でもあった。とりわけ、ロックグループのツアーでは大がかりな音響セットが用意され、全ての音楽楽器もヴオーカル同様大音量で拡声する音楽のスタイルが一般化していった。(中略)

日本で本格的なコンサートの拡声業務が始まった1970年前半当時、一番不足していたのはミキサー卓だった。可般型のミキサー卓は、放送局用に開発された国産のものが2種類ほどあることはあったが、高
価でツアーの音響会社が気軽に購入できる価格ではなかったし、拡声用としては必ずしも使い勝手のいいものではなかった。(中略)したがって、外来のアーティストもミキサー卓だけは持参してきた。(中略)

当時の日本では、国産のヴォ−カルアンプに頼るか、ホールのシステムでコンサートをするより方法がなかったが、ホールの音響設備ではミュージシャンの要求を満たすだけのレヴェルには達していなかった。
シュアー社の300システムは、当時としては驚異的な音量を提供する事ができたのだ。1970年、前述の大坂万博の時代である。外来アーティストのためにシュアーのシステムをレンタルしたところから、コンサートの音響業務がヒビノの営業品目に加わる。やがて、アメリカのハイパワーのスピーカーシステムである「JBL」の代理店になり、外来のロックアーティストの国内ツアーを担当するようになる。このとき以降、JBLはハイパワースピーカーの代名詞となり、ヒビノの名前は日本のコンサート業界に定着する事になる。スピーカーは、国際レヴェルのものが提供できるようになった。スピ−カーを駆動するパワーアンプもアメリカの大出力アンプの代理店になったことで解決したが、やはりミキサー卓が問題だった。放送局用のミキサー卓ではコスト的に引き合わないし、コンサートの現場では必ずしも使いやすいものではなかった。ヒビノではシュアー社の300システムのミキサー部分を主として使っていたのだが、6入力のミキサー卓を並列で使うのは何とも使い勝手が悪い。とはいえほかに方法もなく、筆者がツアークルーを担当した
マイケル・ジャクソンの初来日は、シュアー社の6入力ミキサー卓2台で行われた。

天才的な回路技術者でミクサーがいた。ヒビノの菅原達雄である。

ヒビノで国内アーティストや外来のロックアーティストのツアーを担当しながら、国産初の入力16チャンネルのミキサーを独力でつくり上げた。この卓の導入後、外来アーティストは卓も含めてヒビノの機材で国内ツアーをするようになる。菅原の手づくりのミキサー卓を原型に、のちにヒビノは3台の卓を作って販売した。

国内のコンサートを担当する音響会社がもつことができた国産初のツアー用ミキサー卓である。菅原は、1975年、ヒビノを離れて同世代のクルーを集めて自身の会社「FAST」を立ち上げる。
筆者も参加したこのチームは、規模は小さかったが筆者を除けば腕利き揃いで、国内アーティストや外来のトップランクのアーティストのツアーを担当しながら業務用の音響機器の受注製作も請け負った。

菅原の開発した回路は多くの現場の支持を集め、そのレヴェル高さと使いやすさは今でも語り草になっている。残念ながらチームとしての活動は10年ほどで途絶えたが、FASTからは、現在国内トップアーティストのツアーのみを担当する売れっ子のミクサーや放送局の音声中継車の設計を担当する技術者、アメリカ西海岸にあるコンサートツアーの大手音響会社の技術部長などの才能がそだっていった。
現在、菅原はコンサートの現場からは離れたが、彼が作るアンプは金に糸目をつけないすこぶるつきオーディオマニアの間で現在でも絶大な信頼を得ている。

(3月5日 株式会社新評論より 掲載了承済)
※著者とは面識は無いのですが、FAST発売元になって暫くした頃一度お電話を頂いたことがあります。  残念なことに当日私は不在で妻が電話を受けたのでした。

「つかぬ事をお伺いしますが、そちらで取り扱っているFASTは菅原さんのFASTですか?」
「はい。そうです。」
「そうですか〜。FASTと聞いて思わず電話をしたのですが、彼が作るアンプだったら絶対売れますよ。」
「何と言ったって、彼は間違いなく天才ですから。」

と励まされたと聞き、大変心強く思った事が思い出されます。
それに、私自身、東京のコンサートホールでは東京芸術劇場の音が一番好きである事も実に奇遇でした。
今回HP掲載の了解を得るために初めて電話でお話させて頂きましが、著者はとても真摯な方と言う印象でした。

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