(有)出水電器 島元のブログ

2012年7月19日の記事

灘一

[ オーディオロマン街道 ]   2012年7月19日

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[ さだまさしの色紙。これが飾られていた場所は・・・ ]

 

曲自体は滅多に聴きませんが、私はさだまさしのファンです。
と言うとコアなファンに怒られるかもしれませんが・・・・・とにかく好きなんです。

さだまさし著 精霊流し
http://www.allion.jp/blog/audio_roman/2001/12/19/38.html
CD 小説「精霊流し」の世界
http://www.allion.jp/blog/audio_roman/2002/04/16/48.html

で、昨年9月6日。
病院の待合室に有った旅の本にさだまさしのエッセーがあり、その内容に感動しました。
概要は次の通りです。

ある時、仲の良い新聞記者がやや興奮した面持ちで言うには、昔タクシーがどこまで行っても1円の頃、1升5円の「松竹梅」と言う酒があったが、どうも現在の「松竹梅」とは違う酒ではないかと思う。
現在も松竹梅酒造という酒蔵あって、そこの酒がまた非常に旨いらしい。
もしかしたらこれが昔1升5円で売っていた酒かも知れない。と言い、手に入れたら一緒に飲みましょう。と言って記者は帰った。

そんなことも忘れていたある日、『灘一』がさだの元へ届いた。
だがその時、既に記者は病で急逝していた。
さだまさしはコップを2つ用意し、記者を偲んで「二人で」その酒を飲んだのだった。

こんなことがあったずっと後に、さだは、『灘一』に対する思いを、年に一度行うフアンのための一人芝居のなかで、酒の薀蓄を語る老人が登場する一人芝居「続・銀河食堂の夜」を演ずる。そして、ここに『灘一』を入れた。
これがビデオになった。

そのビデオが、巡り巡って松竹梅酒造の社長の所に来た。
ちょうど阪神淡路大震災の後だった。
松竹梅酒造も甚大な被害を受け、事業継続は困難な状況で廃業を覚悟していた時のことである。

ある日、全く心当たりのない人から、さだまさしの所へラベルも貼ってない酒が送られて来た。
添えられた手紙には次のように書いてあった。


阪神淡路大震災で松竹梅酒造は全壊しました。
小さな蔵ですし儲かるというような商売でもありません。
一度は廃業も決意しておりました。
あなたの一人芝居で灘一を褒めてくださった。
私はそれを聞きながら涙が出ました。
このまま諦めては駄目だ,もう一度酒を造ろうと思いました。
まだラベルもありません。
生まれたての酒をまず貴方に飲んで頂きたい。

さだもこの頃、映画制作に要した莫大な費用の後始末で、本当に大変な状況だった。
それだけに松竹梅酒造の社長の手紙には、震えるような感動を覚えたのだった。

( 映画、「長江」の100万フィートのフィルムは制作後20数年をへて、世界遺産となったそうである。
さだが制作した映画は、それほど文化史上貴重な記録だったのだ)

後日さだは松竹梅酒造を訪ねる。
その時に書いたのが上の写真の色紙で、松竹梅酒造の応接室に飾ってある。

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さだまさしのエッセーに感動した私は、いつか松竹梅酒造を訪ねたいと思っていたのですが、
先日願いがかなって西宮の会社を訪ね、『灘一』を手にすることが出来ました。

説明には、昔は酒蔵でしか味わうことのできなかった原酒。今それをお届けできます。オンザロックでお召し上がりいただきますと程よいアルコール度数になり女性には一層飲みやすくなります。また、ライムを少々加えますと女性好みのカクテルになります。とあります。

なお、宝酒造に「松竹梅」という銘柄の酒が有ります。
いつ、どうしてそうなったかは、現在、松竹梅酒造にも宝酒造にも判らないそうです。

※※※ 今日(7月23日)、取り寄せていた、いつも君の味方(さだまさしの本で「灘一」が書かれている)を読んだら、記憶とは随分違っていて、記者が亡くなったのはずーっと後で、生前一緒に「灘一」を飲むこ機会が無く、松竹梅酒造を訪ねた晩、もし記者が生きていたら、阪神淡路大震災や、その後の松竹梅酒造のことなど、どんなふうに感じるだろうか、と記者を偲び「二人で」飲んだと書いてあった。※※※


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