(有)出水電器 島元のブログ

2012年7月の記事

さだまさし著 「いつも君の味方」

[ オーディオロマン街道 ]   2012年7月25日

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[ この本に灘一の事が書かれている ]

 

ますます、さだまさしの事が好きになってしまいました。
この本も素晴らしい。
なかでも、さらばミヤモトマン・タロウ、灘一、おじいちゃまの膝、最後の客、福田幾太郎に、グッときた・・・・・いや~、まいりました。

先に書いた「灘一」に間違いがあってはいけないと思い、取り寄せた「いつも君の味方」。
(既に絶版となっていたため、ネットで検索したらアマゾンの古本があった)
人間の記憶は当てにならないもので、やはり間違っていた。

記者は大阪の朝日新聞の赤塚という人で、「昔タクシーがどこまで行っても1円の頃、1升5円の「松竹梅」と言う酒があったが、どうも現在の「松竹梅」とは違う酒ではないかと思う。
現在も松竹梅酒造という酒蔵あって、そこの酒がまた非常に旨いらしい。もしかしたらこれが昔1升5円で売っていた酒かも知れない」と言い、酒好きのさだに後日「灘一」を送ってくれた。

以下本文より抜粋。

阪神大震災の前年に、さだまさしのファンクラブ、「まさしんぐワールド・フェスティバル」の一人芝居のなかで「灘一」を取り上げた。
その前年に赤塚記者が癌で急逝。大好きだった記者を偲ぶ思いからだった。
これをビデオにした。

大震災の後、親類のお嬢さんが、そのビデオを持って松竹梅酒造の社長のもとへ走り込んできた。
「さだまさしが灘一のことをほめているよ」と言われ、驚き、どうしても自分の酒とさだまさしがつながらなかった。ビデオを見ると、確かにさだまさしが「灘一」のことを話している。
さだまさしが自分の酒をなぜ知っているのかはわからないが、知らないところで自分の酒は一人で生きている。そして今、自分の酒が意外なところで自分を勇気づけようとしている。
震災でなにもかもしぼんでしまった胸に、明かりがともったようだった、と後に語った。
この時、めらめらと心が立ち上がった。
「よし、絶対にこの蔵を守ろう」と。

後日送られてきた「灘一」に添えられた手紙には次のように書いてあった。
「さだまさしがうちの酒が旨いと言っているんだから、もう一度頑張ろうって。・・・・できたてで、ラベルもありませんが、この酒をもう一度造ることができたら、最初にさだまさしさんに呑んでもらおうと思っていました」

さだまさしは、震災から2年後の2月26日、神戸でのコンサートを行う昼、松竹梅酒造を訪ねた。
年配の杜氏さんや野田社長の嬉しそうな顔を見ながらひんやりとした倉を歩いた。搾り機からちょろちょろとこぼれる生まれたての新酒を利き酒しながら近くで瓶詰めしているおばちゃん達の笑顔がいい。皆あの震災というカタストロフィを生き抜いてきたのだ。そう思ったら手を合わせたくなる。
「元手が返ってこない。ま、言うたら、旦那商売ですね」
野田さんが穏やかに言う。
なるほど、これが文化なのだ。あの未曾有の危機を生き抜き、苦しみを乗り越えた人々のこれは「生きる叫び」なのだ。体が震えて仕方なかった。

神戸ハーバーランドに仮設された国際ホールで、あのとき無力だった僕に、拍手は苦しいほど暖かだった。生命はあっという間に訪れ、あっという間に去る。生まれ、悩み、苦しみ、喜び、笑い、泣き、懸命に生きていつか死ぬ。
だがその短い時間に自分という「文化」を自分の中に創ることが出来るはずだ。耳に痛いほど誠実な拍手が僕の心を揺さぶった。

感動でなかなか寝付くことのできないこの晩。野田社長がわざわざ自ら楽屋に届けてくれた幻の名酒と、じっと向き合った。

人の縁とは不思議なものだ。
赤塚さんが生きていたら、この震災をどうとらえ、どう語ったのだろう。そして「灘一」の復活のドラマをどう見つめたのだろう。
人の出会いは、別の人を思いがけないところまで連れてゆくものらしい。
僕は、赤塚さんの生前、一度も一緒に呑むことのできなかったこの幻の名酒「灘一」を、その晩やっと差し向かいで呑んだ。

オーディオの総合病院。

[ 電源工事 | オーディオロマン街道 ]   2012年7月20日

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[ いわゆるハイエンドシステム ]

 

先日電話を頂いた電源工事依頼者は、とても真摯で丁重な方でした。
下見にご自宅に伺ったのですが、ここでも丁寧なお出迎えを頂き恐縮するほどでした。
システムも写真の通り所謂ハイエンドの部類なのですが、いつも静かな音量で聴かれるそうです。

初めてお伺いするお客様のところでいつも感じることですが、私の耳にはどうしても歪み感が拭いきれないのです。
それほど近年の電源環境はノイズにさらされていることになりますが、一般的にはその対処方法が解りません。ここに電源工事の重要性も有ります。

さて、こちらのお客様宅での電源工事は、
① メーター横のナイフスイッチをNFBに交換。
② 屋内のELB交換。
③ 各回路のノイズ対策。
④ オーディオ専用幹線分岐。
⑤ オーディオ用電灯分電盤EOー01設置と専用回路2回路増設。
⑥ アース工事(接地抵抗 4.8Ω)

ここでの隠蔽配線も苦労しました。
以前エアコン設置したときは、一度屋外の壁を貫通して配管、配線をされたそうです。
作業は4人で、夕方6時までかかりました。

ftei-2012-7-1-2.jpg  奥に見えるのが EO-01

工事後のご感想を頂いたのですが、一番最初にリビングにいらっしゃったお母様が、「あら、いい音になったね」、と言われたそうです。
ご本人のご感想は、「SNの改善と、特に音の躍動感、奥行感が素晴らしい」、と言って頂きました。

htei-2012-7-16.jpg  極めつけのハイエンドシステム(訳あって、写真は大きくできません)

またこちらも超が付くハイエンドシステムとリスニングルームですが、電源に関しては専用回路以外ほぼ手つかずの状態で、簡易的な対策でもビックリするほどの改善が見られました。
具体的に言うと、ボーカルなど、歌の上手さ、発声の仕方、音階と抑揚が手に取るように解り、システムの潜在能力を見せつけられた思いがしました。
これが本格的な電源工事をしたらいったいどうなるのか、期待は膨らむ一方です。

以前、ビンテージオーディオをこよなく愛されているお客様が言われたことですが、オーディオシステムの本当の能力を出すためには、本来ショップだけでは無理なんだと想う。
つまり、各専門家が力を合わせて初めて可能なんだな。というような事を仰っていました。
機器の選択、リスニングルームの設計、電源、その他の専門家が力を合わせる、総合病院的な対応が必要だという意見でした。

私も全く同感です。

灘一

[ オーディオロマン街道 ]   2012年7月19日

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[ さだまさしの色紙。これが飾られていた場所は・・・ ]

 

曲自体は滅多に聴きませんが、私はさだまさしのファンです。
と言うとコアなファンに怒られるかもしれませんが・・・・・とにかく好きなんです。

さだまさし著 精霊流し
http://www.allion.jp/blog/audio_roman/2001/12/19/38.html
CD 小説「精霊流し」の世界
http://www.allion.jp/blog/audio_roman/2002/04/16/48.html

で、昨年9月6日。
病院の待合室に有った旅の本にさだまさしのエッセーがあり、その内容に感動しました。
概要は次の通りです。

ある時、仲の良い新聞記者がやや興奮した面持ちで言うには、昔タクシーがどこまで行っても1円の頃、1升5円の「松竹梅」と言う酒があったが、どうも現在の「松竹梅」とは違う酒ではないかと思う。
現在も松竹梅酒造という酒蔵あって、そこの酒がまた非常に旨いらしい。
もしかしたらこれが昔1升5円で売っていた酒かも知れない。と言い、手に入れたら一緒に飲みましょう。と言って記者は帰った。

そんなことも忘れていたある日、『灘一』がさだの元へ届いた。
だがその時、既に記者は病で急逝していた。
さだまさしはコップを2つ用意し、記者を偲んで「二人で」その酒を飲んだのだった。

こんなことがあったずっと後に、さだは、『灘一』に対する思いを、年に一度行うフアンのための一人芝居のなかで、酒の薀蓄を語る老人が登場する一人芝居「続・銀河食堂の夜」を演ずる。そして、ここに『灘一』を入れた。
これがビデオになった。

そのビデオが、巡り巡って松竹梅酒造の社長の所に来た。
ちょうど阪神淡路大震災の後だった。
松竹梅酒造も甚大な被害を受け、事業継続は困難な状況で廃業を覚悟していた時のことである。

ある日、全く心当たりのない人から、さだまさしの所へラベルも貼ってない酒が送られて来た。
添えられた手紙には次のように書いてあった。


阪神淡路大震災で松竹梅酒造は全壊しました。
小さな蔵ですし儲かるというような商売でもありません。
一度は廃業も決意しておりました。
あなたの一人芝居で灘一を褒めてくださった。
私はそれを聞きながら涙が出ました。
このまま諦めては駄目だ,もう一度酒を造ろうと思いました。
まだラベルもありません。
生まれたての酒をまず貴方に飲んで頂きたい。

さだもこの頃、映画制作に要した莫大な費用の後始末で、本当に大変な状況だった。
それだけに松竹梅酒造の社長の手紙には、震えるような感動を覚えたのだった。

( 映画、「長江」の100万フィートのフィルムは制作後20数年をへて、世界遺産となったそうである。
さだが制作した映画は、それほど文化史上貴重な記録だったのだ)

後日さだは松竹梅酒造を訪ねる。
その時に書いたのが上の写真の色紙で、松竹梅酒造の応接室に飾ってある。

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さだまさしのエッセーに感動した私は、いつか松竹梅酒造を訪ねたいと思っていたのですが、
先日願いがかなって西宮の会社を訪ね、『灘一』を手にすることが出来ました。

説明には、昔は酒蔵でしか味わうことのできなかった原酒。今それをお届けできます。オンザロックでお召し上がりいただきますと程よいアルコール度数になり女性には一層飲みやすくなります。また、ライムを少々加えますと女性好みのカクテルになります。とあります。

なお、宝酒造に「松竹梅」という銘柄の酒が有ります。
いつ、どうしてそうなったかは、現在、松竹梅酒造にも宝酒造にも判らないそうです。

※※※ 今日(7月23日)、取り寄せていた、いつも君の味方(さだまさしの本で「灘一」が書かれている)を読んだら、記憶とは随分違っていて、記者が亡くなったのはずーっと後で、生前一緒に「灘一」を飲むこ機会が無く、松竹梅酒造を訪ねた晩、もし記者が生きていたら、阪神淡路大震災や、その後の松竹梅酒造のことなど、どんなふうに感じるだろうか、と記者を偲び「二人で」飲んだと書いてあった。※※※


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