2008年5月の記事
[ オーディオロマン街道 ] 2008年5月20日

[ 紆余曲折を経てやっと設置されたマイ(?)柱上トランス ]
いつものように担当営業所へマイ柱上トランス設置を申し込んだ。だが、当地では初めての事ということで、説明と打ち合わせにはかなりの時間を必要とした。その後、現地調査も終わり、返事を待っていた。
1週間後に来た返事は想像もしない内容だった。負担金が私が思っていた金額の4~5倍近い金額だったのだ。ビックリしたなんてものではない。まさに青天の霹靂である。最終的な試聴室ならまだしも、ここまで高額な負担は無理な話。これでマイトランスが設置出来ないことになれば、いったい何のためにここまで越してきたのか解らない。それどころかもう一度引っ越ししなければならない。
そこでもう一度営業所へ出向いて事情を説明したところ、この地域は樹木対策(6600Vの高圧線と樹木が、風などで摩擦して発火しない為の対策)で特別なケーブルを使用していて、それが高価で、しかも分岐用端子にいたっては1セットで50万円以上もするというのだ。今まで随分いろんな所で申請したが、こんな話は初めて聞いた。
しかし話してみるものである。営業所も事情を分かってくれたらしく、「社内でもう一度検討してみます」との返事だった。れから 一週間。もう一度現地調査にきた担当者(2人)も、「確かに一般のお客様が負担できる金額では無いですね」と言い、「どうなるかは解りませんが、もう少し時間を下さい」と言って帰って行った。
その後子細に検討を重ねた結果、試聴室の場所が現在のトランスから一番遠く、週末に多くの人が来た時など電圧が不安定になる場合も多いということで、新たにトランスを設置する事になったのだった。 これには当初の20A契約を、最終的に10倍の200A契約に変更していた事も大きな要因だったらしい。
人生万事は扇翁が馬とはこのことだ。最終的に、他の需要が発生しない限り、という条件付きながら専用のトランスは設置された。
なんでも簡単にあきらめずに相談してみるものである。このような紆余曲折を経て、当試聴室はついに夢のマイ柱上トランスを獲得できたのだった。そのころ新製品のアンプ開発も大詰めを迎えていた。
[ オーディオロマン街道 ] 2008年5月18日

[ 家の前にさいている山ツツジ ]
昨年5月より引っ越し作業を始め、最初に行ったのがオーディオ機器の搬入で、最初の音出しはそれなりに結構いい音だった。これがノイズの少ない電源環境の音か、と感心したのもつかの間で、直ぐに音の細さ、エネルギー感のなさ、躍動感の欠如、奥行き感のなさ等々が気になって仕方がなかった。商売柄とはいえ、自分でもいやになる瞬間だ。
そんなこんなを経ながら、単相100Vの20A 契約を、単相三線、150A契約への増設工事が完了したのは翌6月の、オーディオアクセサリーの取材前日27日だった。(電源大全2008、P133~136)
この頃は東京と伊豆の行き来が頻繁で、作業は重労働を伴い体重が8㎏も減った。そのままだったら良かったのに 、いつの間にか以前と同じになってしまった。

写真左から、単相100Vの旧メーター、20Aの旧分電盤、現在の単相三線デジタルメーター、オーディオ専用分電盤。
ここまでも決して事が順調に進んだわけでは無かったが、伊豆の国市へ引っ越した、最大の目標だったマイ柱上トランス申請で思わぬ障害が発生し、場合によってはもう一度引っ越しを余儀なくされかねない事態となった。
[ オーディオロマン街道 ] 2008年5月14日

[ 約40年前から憧れ続けた景色。この景色がそっくり見える試聴室を念願している ]
早いもので、試聴室を伊豆の国市へ移転してからすでに1年になろうとしている。
当初は、「なぜ東京からわざわざ田舎の山中へ?」「なぜ伊豆なの?」、等々不思議がられたりもした。
これには二つの理由があった。
一つは西蒲田の試聴室で得られなかったマイ柱上トランスを獲得して、最高の電源環境下での新製品開発と、さらなる電源工事技術の向上という目標があった。当時の私は、最高の環境からしか最高の製品は生まれないとの思いに駆られていた。この決断は間違っていなかったと思っている。
(新製品開発の経緯については当HPの”ALLIONの紹介 ”を参照下さい)
もう一つが、この地の景色(写真)に永年憧れ続け、20年前に土地を取得していたのも大きな理由で、同じ別荘地にある知人の別荘が10年近く使用されずにいた事もあり、とりあえずそれを借りて仮の試聴室として移動した。
なぜ仮なのかというと、東京生まれの東京育ちで車の免許も無い私のパートナーが、ここに住めるかどうかという重大な課題が有った。出来ればパートナーもこの地を気に入ってくれて、なるべく早く本格的な試聴室を作りたいと願っているが、最悪(あるいは最善?、かもしれない)の場合、現状のまま東京と伊豆を行ったり来たりの生活も視野には入れている。
しかし今考えても不思議で仕方がないのは、前年からまるで伊豆へ引っ越すためとしか思えないような出来事が次々と起こった事である。これは、いつかは伊豆にと念願していた私に取っては渡りに船でもあった。かつて同じ九州出身(宮崎県)の歌人、若山牧水が沼津を終の棲家としたように、私にとってもこの地が終の棲家になる気がしている。
なにはともあれ、既にルビコンは渡ってしまった。あとはひたすら 前へ進む以外にない。
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