(有)出水電器 島元のブログ

2001年10月の記事

華麗なるジプシーの旋律

[ オーディオロマン街道 ]   2001年10月31日

チャルタージュ、黄金のイヤリング、カルメン、ジプシーカーニバル、・・・スラブ行進曲
マントバーニー楽団の【華麗なるジプシーの旋律】の中の曲名である。
中でも私は【ジプシーカーニバル】が大好きだ。

今から30年ほど前、職場の先輩のアパートへ行ったら、部屋の外まで聞こえていたのがこの
曲だった。
せつなく、激しく、そしてやるせない悲しさや嬉しさの入れ混じった凄く速いテンポの曲である。
その日は件のレコードを聴かせて貰ってほとんど話などしなかった。
帰りにはそのレコードを借りて帰った。
それ以後テープにとったその曲を何百回聴いたのだろう。
このレコードとの出会いも私をオーディオへ引きずり込む原因の一つだったと思う。

思えば随分と月日はたったが、その時に読んだ解説書の内容は今でも鮮明に覚えている。
かつて、イエスキリストが食の布施を求めた時、それに応じなかった者がその報いとして、
流浪の民ジプシーになったと言われているらしい。
そのこともあって、世情が不安定になると政治的に利用され、ジプシーのせいにされて迫害を
受けてきた。
かろうじて受け入れられても、男には大道芸以外に仕事らしい仕事は無く、女は占いや洗濯
女みたいな仕事しか無かったらしい。
それでも生きていくためにいろんな事をして、細々と生計をたてて行くしかなかった。

そんな中で、有り余る能力を持った人や、少しでも目先の利いた人にとって、ジプシーで有る
が為の差別や世間の壁は死ぬほど辛かっただろう。
やり場のない怒りや悲しみに絶望し、自暴自棄になった時も有ったに違いない。
そんな中で生まれたのが、あの激しく、せつなく、哀愁漂うジプシーの旋律だった。

これらの曲からは、いわれ無き差別や偏見に対するやるせなさ、怒り、悲しみ、そして「どう
生きればいいのだ!」「どうすればいいのだ!」という叫びにも似た感情が伝わってくる。
そう思えばジプシーの音楽に見られる激しさや、陰影、思いっ切り感情に訴えてくる抑揚の
激しさも何となく理解できる。

バロック全盛期の頃、多くの音楽家が憧れ、どうにもまねが出来なかったのが、ジプシーの
旋律であり演奏技法だったそうである。
やがてジプシーの旋律は北ヨーロッパのクラシック音楽や、イタリアのカンツォーネや、スペ
インのフラメンコに大きな影響を与えた。

音楽でも小説でも心からの叫びを昇華した物ほど素晴らしい芸術として開花し、人々の心
に訴えるのだと思う。

【メリージェーン】と元ジャズメン

[ オーディオロマン街道 ]   2001年10月24日

懇意にしている寿司屋さんに変わった人が働くようになった。
どういう風に変わっているのかというと、決して男前と言うのではないのだが、何とも言えない
親近感、暖かさを感じさせる、そんな不思議な人だった。
それに仕事であれ何であれ、すごく積極的にチャレンジする明るい人でもあった。

時々飲み屋で会ったりして口も聞くようになった。
どうも以前はかなり良いジャズのドラマーだったらしい。
確かにその方面のことも詳しく、いろんな話も教えてくれた。
何があったのか知らないが、音楽界の汚さがイヤになり足を洗ったのだという。
それでも年に1.2度昔の仲間と集まってドラムを叩くこともあると言っていた。

そんなある日、その人がかなり酔っぱらってカラオケを歌った。
足下もおぼつかなく、右手をだらりと伸ばし,不思議な、しかし何とも様になったポーズだった。
そして少し音程をはずした歌い方で歌ったのが【メリージェーン】だった。
しかし数小節も歌わない内に鳥肌が立ってきたのである。
上手い、けた外れに上手いのだ。
哀感を帯び、時に切なく、時に情熱的に、切々とした不思議な歌だった。

音程もはずしたのでなく少し崩して自分のスタイルで歌っていたのだった。
歌い終わったときは全員の拍手が暫く鳴りやまなかった。

それ以後、その人のことをみんなが【メリージェーン】と呼ぶようになった。
私も同席したときはいつも【メリージェーン】をリクエストした。
あの歌(歌い方)はあの人しかできなかった。誰が歌っても魅力が薄れてつまらなく聞こえてしまう。
プロのミュージシャンとして培った音楽の素養だけでなく、今までの生き方もあって、きっとあんなに
ひと味もふた味もある歌い方が出来るのだろう。

その彼も、1年もしたら風のように去っていった。
今は信越地方にいるらしい。
彼の地で、もし【メリージェーン】をとてつもなく上手く歌う人がいたら彼かも知れない。

ビーリ・ホリデイやティナ・ターナの歌も、それぞれに悲惨な人生を乗り越えてきたから歌える歌
なのだろう。
だからこそあんなに人の心を捕らえることが出来るのだと思う。

逆境は強い意志を持つ人を、宝石のように磨き、光らせる。
そして、音楽は歌う(演奏する)人にも聞く人にも、勇気と希望を与えるのである。

アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル 3

[ オーディオロマン街道 ]   2001年10月21日

91年9月の初めだった。
ティアックへ電話をして、ウエストミンスター・ロイヤルカンタベリー15はどこへ行けば試聴出来るのか問い合わせたら、ダイナミック・オーディオ丸の内店を紹介された。
たまたま休みで遊びに来ていた友人と一緒に試聴に出かけたのだが、本命はカンタベリーだった。
アルテック・A5を下取りにだせばカンタベリー15なら何とか買えるだろうと考えていたのと、何と言ってもウエストミンスター・ロイヤルは値段が高いし大きすぎた。

ところが運命の悪戯なのだろうか?、ダイナミック・オーディオ丸の内店へ行ったらカンタベリー15は無かった。つい先日売れてしまったらしい。
しかたなくウエストミンスター・ロイヤルだけの試聴となった。
ふーん、これがタンノイのフラッグシップモデルか、と思いながら聴いていたその耳元に店員のセールストークが悪魔のように囁いた。

「展示品ですから特別お安く致します」
「ちょうど決算期ですからお買い得ですよ」
「消費税もサービスいたします」
「12月下旬のお支払いです。金利、手数料もサービス致します」
「下取りも目一杯高くお引き取り致します」
「£*@∠∽☆★・・§○●∀∂◎◇△→↑←↓〓・・・・・⊆∪∪∀∬・・?・・」

店員のセールストークは延々と続いたのだが、頭が混乱して何を言っているのか解らない。
何しろ、今買わないと損をすると言うことらしい。
気の弱い私はとうとう「それなら・・・買いましょうか」と言ってしまったのである。
その後、友人の運転する車で帰ったのだが、途中の記憶はあまりない。
頭の中は支払いと、とんでもない買い物をしてしまったのではないか、と言う思いが交錯していた。

さて、ここからがウエストミンスター・ロイヤル獲得大作戦である。
大作戦とは名ばかり、本当は日がなカタログと睨めっこして、ひたすら妻の許可が出るのを待つだけなのだ。要は根比べ。(そう言えば、どこぞの掲示板にも同じような事が書いてあったっけ)
待つこと約2週間、ついに理解有る妻からOKが出た。
この時ばかりは本当にどこの奥さんより我が女房殿が素晴らしく思えた。(イヤ、ホント、ホント)

しかしその喜びもつかの間だった。
待ちこがれたウエストミンスター・ロイヤルを初めて聴いたときのショックはそれはそれは並大抵では無かった。
どうしたことか、まともに鳴らないのだ。上はともかく下がサッパリ出ない。
「買うんじゃなかった。雑誌の評論とブランド名に騙された」と思った。
高い授業料だが仕方ない、すぐ売ろうと諦めた。
ところが、さすがは世界の名機と言われるだけのことはある。日に日に音が良くなって行くではないか。

このタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルとは、以後さんざん格闘し現在に至っている。
FASTのアンプで鳴らすようになって、今までのイメージとは違うタンノイの音、表情を発見した。
一関《ベイシー》のマスター、菅原氏が言うところの、タンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルが奏でるゴージャスなジャズを日々堪能している。
勿論クラシック、特に弦の音はタンノイならではの音を聴かせてくれるのは言うまでもない。

10数年前、アキショム80に出会って以来、スピーカー10機種、プリアンプ8機種、パワーアンプ9機種、アナログプレーヤー4機種、CDプレーヤー7機種、ケーブルも悠に100万は使った。
世界最高の音が聴きたいと願った、私のこのオーディオ遍歴は、街の小さな電気屋が事も有ろうにアンプの発売元になると言う、大冒険の為の貴重な経験だったのかも知れない。
最近素直にそう思えるようになった。
でなければ理解できないほど愚然に愚然が重なり合ってFASTの発売元になったのである。
(詳しくは、「音の達人達」№005&№0013を参照されたし)
私の【オーディオ・ロマン街道】には、この次どんな【風】が吹いてくるのだろう。

何はともあれ、オーディオ・マニアと称する人で奥様を始め家族の寛大な思いやりに包まれていない人は無いはずです。
同病相哀れむオーディオ・マニアの皆さん、お互いの幸福のためにも奥様始め家族に最大の感謝をしましょう。そしてそれを行動に表しましょう!!!

 アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル (完)

アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル 2

[ オーディオロマン街道 ]   2001年10月19日

禍福は糾える縄のごとし。

言わぬが花よ人生は。
会うは別れの始めなり。
さよならだけが人生だ。

確かにさよならだけが人生かも知れない。
アキショム80が我が家にあった間(約2年)にはいろんな出来事があった。
そして、ぞっこん惚れ込んだアキショム80も、結局本来の持ち主のところへ帰っていった。
色んな意味で、あんなに寂しい思いをしたことはない。

代わりに来たのがアルテック・A5だった。
ボイス・オブ・ザ・シアターで有名な劇場用のスピーカーである。
かなりの大型スピーカーであることに加え、ネット・ワークが古いタイプで4段階の切り替えしかない。
当然上手く鳴らない。
私とA5との悪戦苦闘が始まった。

最初の問題は低域のふらつきだった。これはすぐに解決。ウーハーの位相反転が原因。
次が中域の艶と張り出し。これもケーブルで何とかなった。
どうにもならなかったのが弦の音。どだい無理な話かも知れないのだがマニアとしては諦められない。
そこで私は,音作りはプリアンプだからプリを何とかすればいい、と思い自作することにしたのだが、
それがどんなに大変な事か、程なく身にしみて思い知らされた。

確かに、図面から部品をリストアップし、シャーシーを加工して組み立て音を出す。
ここまでは少し電気の知識が有れば誰でも出来る。
ここから先の、アースの引き回しや調整が大変なのである。
ここから先は本気でやると、本業そっちのけになるからなおのこと始末が悪い。
しかし、自作のアンプの楽しさはまた別格である。
音が出るだけで嬉しいし、少しでもいい音になれば尚嬉しい、多少の事は目をつぶることも出来る。
そんなこんなで都合4台のプリを作った。

街の小さな電気屋の店頭にアルテック・A5が置いて有ればマニアには否が応でも目に付く。
いろんなオーディオマニアが出入りするようになり、ある時、ラックッスのMB300を買わないか、
と言う話が来た。
1985年(だったと思う)ラックスが真空管から撤退するにあたり、今まで蓄えた真空管技術を
総結集した、ラックス技術陣の記念碑的作品で、名機中の名機である

それを言われるままに、ついつい買ってしまった。
しかしこのアンプはしばらく友人の家に隠して置かざるを得なかった。
その頃、私のあまりの浪費に我が「山の神」は相当お冠だったのである。
それでもウェスタン300Bの名機が来たとなるとそれだけで終わるわけがない。

ラックスMB300に合うプリアンプ、これはもう同じラックスC−36Uしかない。
ところがこれがなかなか無くて、1年近くたって、神戸のオーディオ・ショップで売りに出たので
すぐに予約し、神戸へ引き取りに行った。

ラックス C−36U,MB300となれば、今度はアルテック・A5との相性が問題になってくる。
いよいよタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルが標的となったが、問題は我がパートナーをどう
懐柔するかにかかっていた。

そしてこのスピーカーを手に入れたことが後々FASTの発売元になる大きなきっかけとなった。
災い転じて福となり,福転じて災いとなる。まさに禍福は糾える縄のごとしである。

ウエストミンスター・ロイヤル獲得大作戦は次回。

(つづく)

アキショム80とウエストミンスター・ロイヤル 1

[ オーディオロマン街道 ]   2001年10月16日

私が本気になってオーディオと取り組むようになったのが、名機アキショム80との出会いだった。
ある日、友人に誘われて伺ったオーディオ・マニアのお宅で見たのが事の始まりで、あの独特の
スタイルに完全に一目惚れしてしまい、これはいい音がすると直感した。
「このスピーカーを持つ者は,あまねく人生を過つ」とも言われたスピーカーとの運命の出会い
だった。

それから半年、売ることは出来ないが、とりあえず期限無しと言うことでアキショム80を借りること
になった。
思えば、ここから私の【オーディオ・ロマン街道】は始まったのである。
このスピーカーの反応の早さときたら、当時(多分今でも)他に並ぶ物はなっかた。
何と言ってもかなりの高能率を誇るスピーカーである。
ともかく、何をいじっても見事に反応するから、もっといい音を、もっといい音を、と掻き立てるものが
あり、それが為にどれ程のマニアが泣き、人生を狂わせたのだろうか。
かくいう私も間違いなくその一人である。

その頃のテスト・レコードが富樫雅彦のフェイス・オブ・パーカッション一曲目サムシング・カミング
、情報量、音の切れは比類無い物だった。特にこの曲は他のどのシステムで聴いてもダメだった。
その後の富樫の音楽はマニアックな方向へ傾斜して、今はもう理解の範疇外になってしまった。
私のオーディオ歴で言うと、パーカッション=富樫であっただけにとても残念でならない。

もう一つ忘れていけないのが、このスピーカーは真空管、特にウェスタン300Bと相性がいいと言わ
れていて、トランジスター・アンプで上手く鳴ったのを聴いたことが無かった。
真空管で鳴らす弦のすばらしさと言ったらそれはもう・・・・・・   言葉にならない。
ある日、秋葉原はジュピターオーディオへ行ったとき、アキシショム80より遙かに良いスピーカーが
あると店員がノタモウタのである。

アキショム80など比較にならないと、その店員が言うのがタンノイのウエストミンスター・ロイヤル
あった。対応してくれた店員の名前をいまだに覚えている、それくらいショックだった。

根っからのアキショムファンとしてこれは聞き捨てならない
オーディオファンの端くれとしてタンノイ・ウエストミンスター・ロイヤルは何度か見たことはあったが、
残念な事にそれまで聴いたことがなかった。
当時、クラシックをかけたら世界一と言われていたスピーカーである。
値段もそれに十分ふさわしい値段で、とてもとても私のような一般人の買える代物ではなく、遠い
世界の存在にしか思っていなかった。

まさかそれを自分が手に入れようとは、その時想像さえもしなかった。

(つづく)


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